定額残業制について民事上の紛争になった場合、時間外・法定休日・深夜割増を区別していない定額残業制でも、法定通りに計算したそれぞれの割増賃金の合計が定額残業代を含めて支払われた割増賃金を上回った分についてだけ請求が認められているようだ。
もちろんこれはあくまで定額残業制と認められた場合に限る。また、全て確認したわけではないので、未確認情報だということはお断りしておく。
それなら最初から『月間の残業代72,000円を定額残業代として支給する』と、あいまいにしておいた方が安全なような気もする。
筆者は紛争解決手続代理業務の資格も持っているが、もし、労働者側から定額残業制についてあっせんの依頼があり、前回の『時間外労働給与72,000円が定額残業代』の場合に休日労働分が別に支払われていなかったら、「この72,000円は、単なる時間外労働分の定額残業代であり、法定休日分は別に支払え」と主張するし、おそらく認められるはずだ。
逆に、『残業代72,000円を定額残業代として支給する』とだけ規定してあれば、少なくとも上のような「法定休日分は別に支払え」という主張は難しくなるだろう。
ただし、これは行政の基準からは外れるので、監督署の指導対象となる可能性はある。
きちんと時間と残業の内訳を示した正直な会社がソンをする世の中であってはならないと思うので、この辺ははっきりさせておいてもらいたいところだ。
・ 1発アウトの『定額残業制』も…
たしかに定額残業制について、これが否定された判例を見ると、対象の残業時間だけ示してあって肝心の定額残業代を示していないとか、裁判になっていきなり『「役職手当」の○万円は定額残業代の趣旨だった』と言い出したとか、定額残業代の対象となる時間外労働を超えても別途残業代を払っていなかったとか、そもそも導入時に従業員との合意も説明もないとか、どう考えても箸にも棒にもかからないものが多い。
ひどいのになると、2~6ヶ月における過労死基準を上回る月95時間分の時間外労働を設定していたと主張するものもあり、裁判所(札幌高裁H24.10.19)も『公序良俗に反するおそれ』を認めた。
さすがに風俗営業でもないのに裁判所に公序良俗に反するおそれまで指摘されたら企業イメージの悪化は避けられないだろう。
この裁判例では、普通の36協定の上限『月45時間』を超える想定時間外労働は無効とされた。
ただし、ここで、定額残業制として月95時間の時間外労働分の割増賃金を支給しながら実際にははるかに少ない時間外労働しかなかったというなら表彰されてもおかしくない。
この例では、実際に95時間を超える時間外労働が存在し、かつ、その場合にも残業代の追加支給はなかったようなので、残念ながら同情すべき点はないと言える。
法定休日・深夜割増もあり得る会社で、その分も定額残業制に含めたいのならば、時間外労働分・法定休日分・深夜割増分のそれぞれについて、設定する時間とその分の残業代についてきちんと明文で規定しておくのが厚労省の指導通りで一番間違いがない。
先に述べたように、定額残業代と他の給与が明確に分けられていれば、それだけで定額残業代と認められる可能性は高いし、
『時間外労働・休日労働・深夜労働(以下「時間外労働等」という)に対する割増賃金として定額残業代○万円を支給する。時間外労働等に対する割増賃金の合計額が、定額残業代の額を上回ったときには、その差額を支払う』
としておけば、ほぼ間違いはないと思う。しかし、なめてかかってはいけない。ここまで言い切るには理由がある。定額残業制が否定されたときのリスクが大きすぎるのだ。
『定額残業制』が否定されたら
先の月影さんの例で、定額残業制を会社と労働者が合意する過程のどこかに瑕疵があり、これが定額残業制と認められない場合、定額残業代として支払っていた分は単純に『職務関連給与』として基礎賃金に組み込まれ、割増賃金は全く『支払われていなかった』ことになる。
これは、想像しただけで恐ろしい事態だ。
考えてみれば当然のことだが、設定した定額残業代が定額残業代として認められない場合、月影さんの職務関連給与は『232,500円+72,000円=304,500円』となり、割増賃金単価は次のようになる。
単価 (元の単価)
・基礎賃金 304,500円/月 × 12月 ÷ 1960h = 1,864円/h (1,423円/h)
・時間外労働単価 1,864円/h × 1.25 = 2,330円/h (1,779円/h)
・ ”(月60h超) 1,864円/h × 1.5 = 2,796円/h (2,135円/h)
・休日労働単価 1,864円/h × 1.35 = 2,516円/h (1,921円/h)
・深夜労働割増単価 1,864円/h × 0.25 = 466円/h ( 356円/h)
ざっと、元の単価の1.3倍以上だ。
前回の計算例の最初の、時間外労働が実際に40時間あった場合で考えれば、
時間外労働分 2,330円/h × 40h =93,200円
となる。職務関連給与以外の給与27,200円と合わせると、この月の給与総額は、
304,500円 + 27,200円 + 93,200円 = 424,900円
だ。
定額残業制だから331,700円と思っていた給与が、余計に93,200円必要になる。残業代請求の時効は最近3年に伸びたので、このような状態が毎月続いていたとすると、3年分で300万円を超える。
こういう方が10人いたとすれば3000万円だ。実際にはあまり例がないようだが、付加金を含めると6000万円以上になる。ただし、これは社会保険料の増加分は考慮していないので、その会社負担分を含めれば、さらに卒倒しかねない金額になる。
税務に関して『分掌変更退職金』の失敗事例を聞くことがあるが、それに匹敵する失敗といえる。
定額残業制の運用に関しては、慎重すぎるほど慎重に対処するくらいで丁度いい。
次 ー 78.定額残業制の制度設計 ー
※ 訂正です。
『定額残業制』が否定されたら
10行目(時間外労働単価)1,846円/h × … ➡ 1,864円/h × …
18行目 303,660円 ➡ 304,500円 , = 424,060円 ➡ 424,900円
20行目 余計に90,958円 ➡ 余計に93,200円
23行目 6000万円 ➡ 6000万円以上
24行目 会社負担分 ➡ 会社負担分を '23.08.26
11行目 (月60h超) 2,794円/h ➡ 2,796円/h '23.10.03