₁₉₉.労災保険を使わない?



労災隠しは厳禁

 
 労災保険加入事業所であっても、種々の事情で『労災を使いたくない』という話はたまに聞くことがある。

 意外かもしれないが、労災であっても『労災保険を使わない』という選択は何ら違法ではない。

 労災事故が発生して監督署に連絡したとき、対応するのは監督課だ。『労働者死傷病報告』も監督課の守備範囲。ここで監督署に『労災の報告をしない』というのはだれでも知っている通り悪質な犯罪行為で罰せられる。俗に『労災隠し』というやつだ。

 一応、法的根拠を挙げると、

 労働安全衛生規則97条
 

 事業者は、労働者が労働災害その他就業中若しくはその附属建物内における負傷、窒息又は急性中毒により死亡し、又は休業したときは、遅滞なく、様式23号による報告書を所轄労働基準監督署長に提出しなければならない。
 

とし、労働安全衛生法120条は、

 
『第100条第1項又は第3項の規定による(労基署長・監督官等が事業主等にさせることができる)報告をせず、若しくは虚偽の報告をし、又は出頭しなかった者』は、50万円以下の罰金に処する。
 

と定めている。
 

・ 労災を使わないことはあり得るが…
 

 これに対して労災補償給付請求の受付や給付事務は労災課が行なう。労災保険の給付を『請求しなければならない』とする法令はないので、会社が全額賠償する覚悟と資力があれば、きちんと監督署に労災の報告をした上で『労災保険を使わない』ということはあり得る。

 ただ、ここで労災保険に関しては、法律上はあくまで請求するのは労働者側であって、会社は労災保険の申請に『助力』し、証明すべき事項を『証明』する義務があるという位置付けだ。

 なので、労働者に労災保険を請求する意思がある場合(普通は労災保険で扱われるのが当然と思っているので、その場合が圧倒的だろう。)は、事業主がこれに『助力』し、証明できる事項は『証明』する義務は免れない。

 逆に言えば、労働者が錯誤などによらず真意から「会社が全額賠償してくれるなら労災保険でなくてもいいですよ」という『意思』ならそれでも可ということになる。
 

労災保険を使わないのは?

 
 このように、条件が整えば法律上は『労災保険を使わない』という場合もあり得ることにはなるが、その選択は絶対にお勧めしない
 

・ 医療費は10割会社持ち

 
 災害補償は『休業補償』だけではない。療養補償もある。どころかこれの負担は大きい。要は病院代だ。業務災害の場合は『₁₆₅.通勤災害に保険証(健康保険)?』でも触れたように健康保険は使えないので、3割負担ではない。事業主の10割負担になる。

 健康保険が使えないということは『高額療養費制度』などというしゃれた制度ももちろんない。高額療養費制度は健康保険の制度なので、業務災害で労災保険を使わないのなら、どれだけ高額な療養費でも事業主が全て支払わなければならない。ここまで支払える資力を持った中小事業主はあまりいないのではないか。

 従業員がレジャーでケガをして長期入院となったとすると、その家庭の経済的ダメージだけでも相当大きいはずだ。

 これが労災でこの状況になり労災保険を使わないとなれば、事業主の負担は、療養費だけでも上記のダメージの10/3倍をはるかに超えるものとなるだろうし、これと休業補償だけ考えても、労使ともに悲惨な末路は十分想定できる。
 

・ 事後の悪化・再発は予測できない

 
 もう1つ、災害発生当初は大したことないケガに思えても、何年もたってからそのケガが悪化・再発し、重症化するというのもよくある話だ。

 そのとき仮にその従業員が退職していたとしても賠償義務は消えることはないので、その場合も当時の事業主はずっと医療費10割を払い続け、当人が働けない場合は休業補償をずっと続けなければならない。
 

・ 全額保険外は胡散臭い?

 
 あと、これは確かな根拠はないのだが、交通事故や美容整形・高度先進医療・歯科の保険外など理由がハッキリしている場合を除いて、普通の、特に労災のケガで『全額保険外診療』というのは、医療機関にとって相当胡散臭い患者と見られるようなのだ。医療費が確実に支払われる保証もない。

 元監督官の方が書いた書籍によるのでそれほどいい加減な話ではないと思うが、労災によるケガで労災保険を使わない場合、医療機関が思い切った処置をとれず事後の経過が思わしくない場合はあるようだ。

 もちろんすべての医療機関がそうした対応をするわけではないだろうが、医療機関も慈善事業ではないので、こうした対応があったとしても経営上無理はないだろう。

 そしてこうした労働者の、医療上の不平不満はまっすぐ事業主に向けられることになる。

 労災保険であれば国が10割負担するので、国家が破綻しない限り『取りっぱぐれ』はあり得ない。健康保険以上に医療活動に専念できる。
 

メリット制を考慮しての労災保険不使用は愚策

 
 大体、監督署にきちんと事故を報告しながら労災保険を使わないという動機は、『メリット制』(₁₉₇.労災保険のメリット制)により労災保険料が上がることくらいしか考えられない。

 ただしここでも書いた通り、そもそも労災保険率4.5/1000以下で従業員100人未満の事業所ならメリット制の適用はないので、労災事故により保険料が上がることはない。たとえば小売・飲食・サービス業などだ。

 100人以上の事業主や、100人未満でも労災保険率が5/1000以上の業種なら、人数によってはメリット制の対象になるので、2~4年後の保険料の増加につながることはある。

 それでも、労災保険を使わなかったとときの医療費・休業補償その他賠償額の総額を凌駕するほど労災保険料が上昇することはまず考えられない。

 しつこいようだが、『労災保険を使わない』という選択は絶対にやめるべきだ。

 

2024年12月27日