休暇シリーズが一段落したので、今回は一休みとする。番号は一応ついているが、番外編です。
筆者は11年前まで28年間公立小学校の教員をしていた。最初の内は出勤-退勤間7時間半だった。勤務時間の最初と最後に勤務時間の一部として15分ずつ『休息時間』というのがあったからだ。退勤とその後の休息の間に45分間の休憩が挟まっていて、図にすると下記のようになる(8時に勤務時間が始まる場合)。
8:00 8:15 15:45 16:30 16:45
▼ ▼ ▼ ▼ ▼
休息時間 勤務 休憩時間 休息時間
さて、そのうち休息時間はなくなり、実働8時間となった。ということは勤務時間の途中に休憩を挟まない方法はない。
学校で子どもらを相手にしているのだから子どもがいる間はのんびり休憩などとれるはずはない。
給食時間など、特に低学年の担任は正課の授業中の何倍も忙しい。あっちで皿を落としたこっちで牛乳をまかしたそっちでケンカが始まったといっては教室中を走り回り、その合間を縫って自分の給食を食べながらおかわりをよそいに来る子どもの手伝いもしなければならない。教員は早食いでなければやっていけないのだ。その後の昼休みは日記や家庭学習の丸付けや子どもと遊ぶ。子どもと遊ぶのも教員の大事な仕事だ。
というわけで、子どもの登校から下校までの間に休憩を挟む余地はない。やむを得ないので、終業5分前、子どもの下校直後から45分間休憩を入れることになった。もちろんその間はパチンコに行こうが寝ていようが何をやっていてもいいという説明だ。何をやっていてもいいということは仕事をやっていてもいいという解釈で、ほとんどの方はそのようにしていた。
これを真に受けてパチンコに行くような大胆不敵な人もいなかったし、保護者から電話がきて「○○先生いますか?」「あ、今パチンコに行ってます。」となってもバツが悪い。
労働組合的には抵抗はあったように記憶しているが、職員からの個人的な苦情はなかったようだ。
元々勤務時間など気にしている教員はいなかった。朝は始業30分前には大概の人は出勤しているし、大体、子どもが帰ってからでないとその日の事務作業に入れないので、退勤は19時~20時が普通だった。もちろん行事や研究授業の前・学期末など『普通でないとき』はここから数時間遅れる。
子どもに直接関わる事務ならやむを得ないが、誰の役にも立たないどうでもいい書類作成にも結構時間を取られる。これは辛かった。
当然『残業手当』などはない。給与の4%が『教職調整額』として残業手当の代わりに支給されるが、残業時間で割ってみれば最低賃金の数分の1という『寸志』に過ぎない。
前回扱ったように、公務員なので休暇は充実しているが、周りにも子どもにも迷惑をかけるし、自分の首を絞めることにもなるので、そうそう取ることはできない。
具合が悪くても熱を測ったこともない。熱が何度あろうと休めないことは分かっているので、測るだけムダどころか予想外に高かった場合には精神衛生上良くない。
もちろん制度的には年休も病休も取れるが、休むためには年休だろうと病休(よほどの時は別として)だろうと事前に『補欠指導案』を作成しておかなければならない。さらに、誰が補欠に入っても困らないように、テストやプリントの類を大量に用意しておく必要がある。この準備に、いくら急いでも1日分2~3時間はかかる。
名目と実際の労働条件の落差がこれほどある職種も珍しい。
結局在職中、何事もないのに一番長く年休を取ったのは、退職した年の修業式後の数日間だった。もちろん指導要録の作成や、次の担任への引継ぎやらで毎日学校には行くのだが、出退勤は自由という状態だ。
残業については、最近結構厳しくなったと聞くが、どうなのだろう。結局家に仕事を持って帰らされ、USBメモリー(以下『USB』)を落として問題にされたりしているのではないだろうか。
そういったニュースを聞くたびに憤る。仕事のUSBなど、誰が好き好んで家に持って帰るものか。確かにUSBを持ち出し落としたのは本人の責任だが、その原因をつくった張本人が涼しい顔をしているのは如何なものか。
ここに書いたのは10年ほど前の話なので、その後改善された部分もあるかもしれないが、今、社労士の立場で振り返ると、どこから指摘したらいいのか迷うほど問題だらけの実態だ。公務員の場合、監督署は介入できないので、政策的に何とかしてもらうしかない。
7才以上の国民で今まで教育と一切無縁だった方はほぼいないからなのか、教育については昔から批判の的になることが多い。教員の労働条件を改善し、教員自身が元気に余裕ある生き方ができるようになれば、大部分の問題は解決するようにも思う。
次 ― 32.休日の振替と代休等 ―