86.給与『通貨払いの原則』



 今や現金払いのところは少ないが、原則は今も『通貨払い』だ。商品券とか金の延べ棒とかで支払ってもダメである(その方がありがたい場合もあるだろうが)。

 また、日本の法律で通貨といったら日本の通貨日本円に限る。人民元でもユーロでもジンバブエドルでもダメ。給与は速攻で使えなければならないので、基本、国内で強制通用力のある現金でないとダメという趣旨だろう。

 労働者が真意から同意したと認める理由が客観的に存在するときは可能とする司法解釈(2012年東京地裁)もあることはあるが、この判決は、かなりの限定条件下での別の問題についての最高裁判決(1990年)からさらに類推したもので、確立された判断とは言えない。

 この『通貨払いの原則』の例外(要は、現金でなくていい場合)は、2つある。
 

・『通貨払いの原則』の例外

① 法律又は労働協約に別段の定めがある場合
② 確実な支払の方法で、厚労省令で定めるもの
 

労使協定と労働協約

 
 さて、①で、現物支給を可能とする『法律』の定めは現在ないので、『労働協約』しかない。
 この『労働協約』だが、言葉も似ているので『労使協定』と似たようなものかと思ったら大間違い。この2つは全く違う。

 『労働協約』は労働組合と使用者の契約なので、労働者側に労働組合がないと結べない
 さらに、最大の違いは『労使協定』が免罰効果しかないのに対して、『労働協約』は労使間の権利・義務を根拠づけるものということだ。

 たとえば、1日8時間・週40時間を超える労働は違法なので罰せられる。法律の範囲内でこれを超える労働を可能とする労使協定を結んで届け出れば、違法行為として罰せられることはなくなる。

 だが、言ってみればそれだけの話(これも結構重要と言われればその通りだが。)だ。これだけで時間外労働を従業員に『義務付ける』ことはできない。

 これに対して労働協約は、労働契約・就業規則を上回る拘束力を持つ(当然だが法令よりは劣る。)。
 労働協約では、次のようなものも認められる。

  ・組合員を解雇する場合には、組合の承認を必要とする。
  ・従業員の組合加入を義務付け、脱退(除名を含む。)した場合は解雇する。
                             (ユニオンショップ制)

 どうだろう。なかなかの、というより相当の拘束力だ。こういう契約もまかり通るということにちょっと驚かれた方もいるのではないか。会社の就業規則等も一定の範囲で拘束力があるが、就業規則を上回る拘束力を持つのが『労働協約』なのだ。

 ただし上の例で言うと、労働者にも『組合選択の自由』はあるので、ある組合を脱退した方が別の組合に加入している場合は『・』の2つ目によって解雇することはできないことになっている。

 つまり、『組合加入を義務付け』ることはできるが、その組合が自分のところの組合とは限らないということだ。
 

現物支給は、労働協約一択

 
 というわけで、現物支給をするためにはこの労働協約一択だ。

 『全額払いの原則』と違って労使協定でこれに代えることはできないので、労働組合がない場合は現物支給で給与を支払うことはできない。通勤定期券の支給とかも現物支給なので、ここは注意が必要だ。

 労働組合がない会社でどうしても現物支給したかったら、従業員に何とか労働組合をつくってもらって、労働協約を結んでもらうしか方法はない。

 しかも、この場合、その組合の組合員以外には拘束力はない。組合の組織率が75%以上の場合、労働組合法に『拡張適用』という規定はあるが、この場合は適用されないことが明示されている。

 また逆に、労働者の過半数に達しない労働組合であっても、その組合と会社が労働協約を結べば、その組合員に対しては、協約の範囲内で現物支給で支払うことはできる。
 

口座振込は、同意でOK

 
 『通貨払いの原則』の例外②の『確実な支払の方法で、厚労省令で定めるもの』とは、具体的には口座振込等だ。一般的な支払方法だが、個々の労働者の同意(「あ、ハイ。」と言ってもらえば十分)は必要だ。

 個々の労働者の同意を得ずに口座振込することはできないが、労働者にとって、普通不利益はないので、山の中で銀行まで何十kmもあるとか、よほど偏屈な従業員だとかでない限り同意は得られると思う。

 逆に、従業員が振込を希望しても会社が現金払いにこだわるなら、それが原則なので、給与振込してもらう『権利』はない

 法的には労使協定も不要だが、これについては厚労省は協定を指導していることもあり、('22年11月28日労働基準局長通知)、届出も有効期限も必要ないので結んでおいた方が無難とは言える。

 実際には、原則通り通貨で支払っているところは減ってきて、銀行振込が多いが、個々の従業員と会社が納得していれば問題はない。
 

デジタル通貨は、労使協定と同意書が必要

 
 デジタル通貨については、2022年に解禁の話が出てきたと思ったら、同年11月には例外②の『厚労省令』に入り、23年4月から解禁された。

 労使協定と個々の労働者の同意書が必要で、これがあればデジタル通貨払いも可能になった。もちろん、会社の義務になったのではない。
 

1円『札』でも可

 
 『現金払い』が原則なのは今でも変わらない。

 この理由として『国内で強制通用力のある現金でないとダメ』と冒頭で書いた。逆に言えば『国内で強制通用力のある現金』であれば良いことになる。

 日本銀行法46条2項では『日本銀行が発行する銀行券は、法貨(法定の通貨)として、無制限に通用する』と、無制限の強制通用力があることが法定されている(硬貨は別の法律で、1回20枚までという制限はある。)。

 最近冷遇されている二千円札でも、昔懐かしい聖徳太子の1万円札でも『強制通用力がある』という点では変わりない。

 ここまでくると余談と言っていいが、現在も強制通用力のある最も古い通貨は、1885年(明治18年)発行の、大黒様柄の1円札らしい。

 現在の価値がどれくらいなのかは知らないが、元々現金支給のところは、給与の一部として額面通りにこれで支払っても『通貨払いの原則』からは1歩も逸脱しない。

 ここで、何か良からぬことを思いついた人がいるかもしれないが、私はそれ以上何も言っていないので、誤解のないように願いたい。

 

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※ 訂正です。
 労使協定と労働協約
 9行目 労使協定を結べば ➡ 労使協定を結んで届け出れば
※ 一部修正・加筆
口座振込は、同意でOK
 9行目 これについては見解が分かれる。➡ これについては、
 10行目 通知発出日を加筆 '24.01.26

2023年09月29日